| 朝顔につるべとられてもらい水 | 2025年08月02日 |
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「朝顔につるべとられてもらい水」これは江戸時代の俳人加賀千代女が詠んだ俳句ですね。朝顔の弦が釣瓶に巻き付き井戸から水をくみ上げることが出来なくなり、弦を切らずにもらい水をしたことを詠んだ歌です。朝顔が生きていることを感じる作者の優しい気持ちが伝わりますね。
私も事務所で芝生やサクラランからの水分蒸発量を計測していると、植物たちが生きていることがよくわかります。我々日本人のご先祖様は15000年以上続いた縄文時代を自然に囲まれて暮らし続けました。自然に囲まれて生きるということは、自らの命をつなぐ糧を、自らの手で身の回りの自然から摂取するということですね。
仕事が分業された現代社会を生きる我々は、生きる糧となる動植物を、容易に手に入れることに慣れて暮らしています。しかし我々のご先祖様は常に変化する厳しい自然の中で、命をつなぐ糧を自らの手で確保しなければならない暮らしを続けました。縄文時代のご先祖様は私たちが自然や動植物に対していだく感覚よりも、より鋭い感覚を持って生きていたと思います。このような感覚が朝顔が生きている気持ちを生んだのでしょうね。そしてその気持ちは現代の日本人の心の底にも、受け継がれていると思います。写真は事務所のそばのお寺で咲いていた琉球朝顔です。参考ブログ:始まりの木