| インターネット・アウターネット? | 2010年08月15日 |
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Windows95の登場以来、インターネットには大変お世話になってきました。インターネットを通して必要な情報を瞬時に入手することが出来ますし、様々な人と情報を交換することも出来ます。最近ではSkype等のビデオ電話を通して、きめ細かな情報交換も手軽にできるようになりました。
今から140年ほど前の19世紀の印象派の芸術家たちは、屋外に広がる自然の光の動き、変化をいかに表現するかに夢中でした。そしてその光の変化や動きを、絵画や音楽で表現することに成功したようです。コンピュータの中に構築された世界を仮想世界(仮想現実・バーチャルリアリティ)と呼びます。コンピュータ・インターネットが作り出すバーチャルな空間も素晴らしいですが、インターネットから外(アウターネット?)に目を向けて、自然の中を移りゆく光の変化を実感するのも楽しいですね。
新宿御苑の北隣り、新宿門から大木戸門にかけての散策路には玉川上水が復元されて流れています。江戸時代、ここ四ツ谷大木戸水門から上水は地下に潜り、江戸の町を水のネットで結んでいました。
| 木の葉の価値 | 2010年08月01日 |
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コンクリートの建物やアスファルトに囲まれた都市で芝生を育てるには、ヒトの手による芝刈りと水やりが必要です。同様に街路樹をメインテナンスするには落ち葉の処理や枝の剪定など、手間暇のかかる作業の連続です。都市を緑化するということは、人間が植物と共棲して行くことですね。動くことが出来ない植物の葉を掃除したり、枝を剪定したりする作業はヒトに課せられた役割です。
都市の緑を増やして行くにつれて、ヒトによる植物のメインテナンス作業も増えます。この課題にどのように対処したらよいでしょうか?公園や街路樹など公共の資産は、自治体に委託された業者さんが定期的にメインテナンスを行います。これから街路樹を増やして行けば、公共事業として植物のメインテナンスの仕事も増えて、雇用の創出にもつながるのではないかと思います。
しかし、これから都市の緑化をさらに進めてゆく中で、植物のメインテナンス作業は専門の業者さんだけで対応できるのでしょうか?学校の校庭緑化が推進されていますが、芝生のメンテナンスは地元の方々の協力がないと続きません。また商業地区や住宅地の緑化が進んだ場合、自分の家や建物の周りの落ち葉の処理は誰がするのでしょうか?植物が生きる限りメインテナンスは10年、20年と継続する作業です。学校周辺の皆さんや住宅地、商業地区の皆さんの善意のボランテアで、いつまでも続くような作業ではありません。
ヒトが芝刈りや落ち葉拾いをする作業に価値を見出すことができれば、それは仕事として継続してゆくのではないでしょうか?私は芝刈りをして集めた芝生を見ていて、これが食べることができないかなといつも考えます。西洋芝を刈り取ると細い芝生の緑が美しく、おひたしにでもできそうですが無理のようですね。キツネやタヌキであれば、木の葉をお金に変えてしまうことができますが、ここにヒントがあるような気がします。
例えば街の落ち葉や校庭で刈った芝生をビニール袋に入れて、自治体のどこかの部署にもって行きポイントに換算してもらい、そのポイント数で自治体に収める税金をを引いてもらうとか、子供の給食費に充ててもらうとか、いろいろな方法が考えられます。落ち葉が価値をもつようになれば、街を歩いていてヒトはそれを拾うのではないでしょうか?そのようになれば、都市の緑化もより一層広がるような気がします!
| 百年の巨木 | 2010年07月25日 |
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信州高遠藩内藤家の中屋敷であった新宿御苑は明治の初頭、内藤新宿試験場として農業の振興を図っていた時代があったようです。新宿駅東口にある高野フルーツパーラーも創業当時、新宿御苑で出来た果物を販売していたという話を聞いたことがあります。現在の新宿御苑内で一番高い木はモクレン科のユリノキで、明治9年(1877年)に植樹され、明治40年(1907年)にはこの種木から、街路樹用の苗木が全国に広まっていったそうです。
新宿御苑には同じく、樹齢100年を超えるプラタナス(モミジバスズカケ)が元気に育っていますが、このプラタナスの木も明治の初めに海外から移植され、研究開発た後に街路樹として送り出されて都市を緑で満たしてきました。新宿御苑もシンガポール植物園と同じような役割を果たした時代があったようですね。
東京もユリノキやプラタナスが街路樹として、都市に涼しい空間を作り出しています。これらの街路樹が巨木に育つ100年後の東京の姿をイメージすると壮観ですね。目指せCity in a Gardenです!
| 間伐材のプランター | 2010年07月18日 |
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大田区産業プラザPIOのテラスに,から松の間伐材で作った素晴らしいプランターがやって来ました。長野県のパートナー企業キクイチさんが開発した新製品「からまつ緑華」です。信州の山で育った天然木、から松の間伐材を有効利用した手造りのプランターです。
先日新聞を読んでいたらこれからの日本に必要な事業のひとつとして、林道の整備が重要であると提言なさっていた方がいらっしゃいましたがその通りだと思います。以前のブログで戦後の日本の国土の緑化面積が増えていることをご紹介しました。(森の主役交代)詳しい話はブログをお読みいただければと思いますが、日本国内で消費される目的で植林されたスギなどの人工林が有効利用されないまま、間伐もされずに
放置されているようです。芝生も人間の髪の毛も、時々散髪してすっきりさせると気持ちがいいですね。木も同じです。森をメンテナンスするための林道を日本全土にきめ細かく張り巡らすことで、自然林の間伐もしやすくなることでしょう。
新宿御苑の千駄ヶ谷門から新宿門に抜けるおよそ1kmの間にスダシイ、マテバシイ、シラカシ等の常緑広葉樹から落羽松、メタセコイア、レバノンスギ、ヒマラヤスギに連なる森が続きます。木々の葉からの蒸散作用で冷気が降りてきて、とても気持ちがよい散歩道です。ハキ屋のおじさんが大きなホウキで木の葉を掃除してくれるので、道もすっきりしています。このような木立に囲まれた道が、日本全土の森から都市の街路まで張り巡らされる姿が見られるようになるまで、これから30年、50年、100年かかるかもしれませんが、今からその作業を開始しなければ話は進みませんね。シンガポールでは、先の首相Lee Kwan Yewが自らの手で植樹を開始して、およそ50年をかけて都市の半分を緑化しました。シンガポール植物園2
| 桜吹雪とアレロパシー | 2010年04月11日 |
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今年の春は気温が低い日が続き、新宿御苑の桜も例年よりも長く咲き続けましたが、ようやく花びらも散り始めました。その景色ははうっすらと雪が積もったようで、なかなか良い眺めです。
散った花びらが積もっている木の下をよく見ると、土がむき出しになっています。そこは芝生はもちろん、草もあまり生えていません。以前、芝生に詳しい方から、木の下や周辺に植物が生えないのは、木から分泌される物質が原因らしいと伺ったことがあります。アレロパシーと呼ばれる現象で、木から微量の化学物質が空気中や地中に分泌されて、他の植物の繁殖を抑えたり昆虫などを遠ざけたりするようです。木が自分の縄張りを主張しているようですね。
木の下は日陰になりやすい場所ですが、芝生が生えない理由は太陽光の影響だけではなさそうです。桜も自分が生きながらえるために化学物質を分泌して、芝生に栄養分を取られないようしているのでしょうか?
事務所のそばの大木戸門の横には大型の観光バスが停まる駐車場があり、海外から大勢の団体客が御苑を訪れてています。皆さん、朝のすがすがしい空気の中で桜を見て感動しているようです。何を話しているのか良くわかりませんが、元気で楽しそうですね。
| ケンブリッジ400年の芝生 | 2009年09月27日 |
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数学者藤原正彦先生のエッセイ遥かなるケンブリッジ(新潮文庫)のなかで、藤原先生が同僚の先生と、手入れの行き届いたケンブリッジ大学のキャンパスの芝生を歩いていて、「どのようにしたら,このようにきめ細かな美しい芝生を保てるのか?」尋ねたところ、「四百年ほど丁寧に手入れを続ければこうなる。」という答えが返ってきました。Kings College Chapel 写真引用:Wikipedia
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400年とは驚きの長さですが、確かに芝生の育成は,日々の芝刈り、水やり、そして時々の施肥、オーバーシード(種の追い撒き)の繰り返しです。プロのグリーンキーパーさんによる日々の作業の連続が、美しいキャンパスの芝生を支えて来たのでしょうね。 当社では、皆さんがご自身の手で芝の育成が容易にできるように、緑化基盤、灌水システム、そして芝生のソッド、種、肥料、砂をご提供する方法を整えてきました。三佐和オンラインショッピング 次の課題は皆さんが楽しく芝生を刈れる方法を開発することです!
都内でも新宿御苑や皇居外苑では誰もが、手入れの行き届いた美しい芝生を楽しむことができます。日本のグリーンキーパーさんの芝生を育てる技の素晴らしさを感じます。
新宿御苑ではその昔、昭和天皇が皇太子であられたころゴルフを楽しまれたという話を聞いたことがあります。確かに御苑の風景を眺めているとゴルフコースの雰囲気を感じますね?
| 青海から新宿へ | 2009年05月17日 |
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東京都産業労働局から中小企業創造法の認定いただき、東京都中小企業振興公社から青海事務所をお借りして5年がたちました。当初はガーデンクリートの透水性・保水性・軽量性を活かし、気化熱の働きで都市を冷やす技術を開発しました。その後、公社のビジネスナビゲータの皆さんをはじめ多くの方の協力を得て新しい機能を付加した製品が出来ました。この5年間て学んだことは毛細管現象という自然エネルギーを活用して、ガーデンクリートを植物を育てる緑化基盤として使用する技術を開発出来た事です。次の仕事はこの技術を、東京をはじめ様々な都市で利用していただくことです。そこで私が生まれ育った新宿に事務所を移すことにしました。青海という島での様々な出会いが、新しい製品を生みました。この機会を与えてくださった東京都と中小企業振興公社、海外特許取得の支援をしてくださった東京都知的財産総合センター,そして東京で暮らしていらっしゃる皆さん、働いていらっしゃる皆さんに心から感謝いたします。
青海南ふ頭公園 5月1日撮影
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新宿御苑 5月14日撮影
| 坂の上の網 | 2009年01月11日 |
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昨年の暮,来日したシモン・ボリバル・ユースオーケストラ・オブ・ベネズエラ(Simon Bolivar Youth Orchestra of Venezuela)のコンサートに行きました。創設者のホセ・アントニオ・アブレウ博士の"貧しくても音楽を学びたい子供たちに、わけ隔てなく楽器を与え集団で練習することで団結と規律の精神を養い、若い演奏家を育て演奏の場を作る。"という理念のもと、音楽教育のエル・システマはベネズエラにしっかりと根付き豊かに実ったようです。若者たちの演奏技術も一流ですが、音楽の楽しさを伝えようとする 気持ちが、彼らの目の輝きとともに伝わって来て感動しました。この若者達の生き生きとした表情を見て、ふと司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出しました。この小説に描かれている若者たちは、新しい国家を作るために時代を駆け抜けて行きましたが、彼らが活躍した時代、坂の上には青空にポッカリ浮かぶ白い雲を見ることができる社会の雰囲気があったのでしょうね。維新から140年を経過した現代、新国家の形成と発展のために張り巡らされて来た様々な制度やしきたりの網は、平成の坂の上に重くのしかかっているようです。その中には、これからの社会を築いてゆくのに役割を終えた制度やしきたりの網が無数にあるようです。
京王井の頭線の渋谷駅改札口前には、岡本太郎作のとてつもなく大きな壁画「明日の神話」があります。岡本画伯がメキシコで制作されたものだそうですが、一人でこの大作をお描きになったとは、まさに"芸術は爆発だ!"の気迫が迫ってきます。この絵を見て我々も岡本画伯の元気をいただき、青年諸君から中年、壮年の皆さんまでが連携して、今の社会を覆っている役割を終えた様々な網を整理して、次代の若者たちが再び坂の上の青空に浮かぶ雲が眺められる社会を作ろうではありませんか!
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コンサートが終わり席を立つときに、私の後ろの席で演奏を聴かれていたアブレウ博士にBravo!と声をかけたところ、にっこりと笑いながら会釈して下さいました。(当日の演奏会の模様は2月20日の夜、NHK教育テレビで放送されるそうです。是非ご覧ください!)
| 新宿御苑 | 2008年11月09日 |
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新宿御苑は幼いころからの思い出がいっぱい詰まった場所です。小学生のころ、近所の友達と御苑の池にアメリカザリガニを捕りに行ったことがありました。スルメを縛った糸を池に入れるとザリガニがハサミでスルメを挟み、簡単に捕まえられます。バケツ一杯のザリガニを持ち帰りましたがお咎めを受けた記憶はありません。縛りが強くなった現代の管理社会ではご法度の行為ですね。この縄を解きほぐし穏やかな空気が漂う社会環境を蘇らせたいものです。新宿御苑で私が好きな場所の一つに台湾閣(旧御涼亭)があります。雨の日にここから眺める日本庭園には、雨に煙る墨色の風情が感じられます。
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